2023年05月15日
父の兵隊の記憶 9 矢矧沈没
四月三日、夜中に出港して、四日の朝には九州を離れ、
鹿児島の南方にいた。
米軍の戦闘機が絶え間なく飛んできて、爆弾を落としたり
機銃掃射で、ひっきりなしに攻めてきた。
多くの魚雷や爆弾が直撃し、
そのうち、至近弾が飛び込んできて、火薬に当たり爆発した。
供給所や火薬庫は全滅して、煙が噴き上げてきたので
ロープにすがって下へ降りて、右側の上甲板へ行くと、
そこには水が一メートル位来ていた。
それで、靴を脱がずに、すぐに海に飛び込み、二~三百メートル泳いでから
脚絆をのけて、靴を脱いだ。
船が沈む時は、二~三百メートル離れていないと巻き込まれるという事を
教わっていた。
飛び込んだ時に、すでに三百メートル位先に、水上機二機とカッター(手漕ぎボート)が
鈴なりになるほど一杯の人を乗せて逃げていた。
総員退去の命令が出ていたのかもしれないが、
伝令もやられていたのか、来なかった。
四月七日、午後一時頃に、矢矧は海に沈んだ。
時計が無かったので、時間は正確にはわからない。
船が沈んだら、逃げているカッターなどがグラマン戦闘機の的になった。
大和は、矢矧の後、一時間位で沈んだ。
海の中で、機銃掃射に狙われたが、それは海の上を真っ直ぐに進んでくるので
ひょいとかわしながら何とか頑張った。
四月のまだ寒い中、五時間位海にいた。
もうえらくて、死にそうだった。
暗くなったら死なないかん・・・・、そう思った。

鹿児島の南方にいた。
米軍の戦闘機が絶え間なく飛んできて、爆弾を落としたり
機銃掃射で、ひっきりなしに攻めてきた。
多くの魚雷や爆弾が直撃し、
そのうち、至近弾が飛び込んできて、火薬に当たり爆発した。
供給所や火薬庫は全滅して、煙が噴き上げてきたので
ロープにすがって下へ降りて、右側の上甲板へ行くと、
そこには水が一メートル位来ていた。
それで、靴を脱がずに、すぐに海に飛び込み、二~三百メートル泳いでから
脚絆をのけて、靴を脱いだ。
船が沈む時は、二~三百メートル離れていないと巻き込まれるという事を
教わっていた。
飛び込んだ時に、すでに三百メートル位先に、水上機二機とカッター(手漕ぎボート)が
鈴なりになるほど一杯の人を乗せて逃げていた。
総員退去の命令が出ていたのかもしれないが、
伝令もやられていたのか、来なかった。
四月七日、午後一時頃に、矢矧は海に沈んだ。
時計が無かったので、時間は正確にはわからない。
船が沈んだら、逃げているカッターなどがグラマン戦闘機の的になった。
大和は、矢矧の後、一時間位で沈んだ。
海の中で、機銃掃射に狙われたが、それは海の上を真っ直ぐに進んでくるので
ひょいとかわしながら何とか頑張った。
四月のまだ寒い中、五時間位海にいた。
もうえらくて、死にそうだった。
暗くなったら死なないかん・・・・、そう思った。