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Posted by あしたさぬき.JP  at 

2023年05月09日

父の兵隊の記憶 4 軍艦矢矧 

同期の兵隊で、福岡県出身の藤原という男が本隊にいた。

その藤原が、「弱ったがー、軍艦に乗らないかんようになった。

三人割り当てがあるから、一緒に行ってくれ。」と、泣くように言ってきた。

それで班長に、自分も軍艦に乗りたいと申し出た。

でも班長は、 「今船に乗ったら、生きては帰れんからやめておけ。」 と言って反対した。

それでも行きたいと言うと、渋々 「勝手にせぇ」 と許してくれた。

本当は、班長の使いが嫌であったので、船に乗ろうと志願したのである。


十月十日過ぎに鹿児島を出て、佐世保へ向かった。

佐世保で、軽巡洋艦矢矧に乗ることになった。

全長 約百七十メートル、約八千トンの軍艦で、八百人位が乗っていた。

ご飯を作る人もいて、船の中では、飯はしっかりあって、腹一杯食べる事ができた。

ご飯にみそ汁、漬物、時々魚のおかずが出た。

時化で荒れた時は、皆あまり食べないのでたくさん残った。

南方に居る時は、パパイヤやスイカの白い部分で作った漬物を食べた。

兵隊と下士官は、外米(サイゴン米)を食べ、

士官は日本米であった。

朝昼晩と、飯も汁もぬくぬくで、若い兵隊が準備して

班ごとの机で食べた。(十八人)

茶碗やお皿は海水で洗い、それを蒸気で消毒してくれる。

ご飯の材料は、食料船が持ってきていた。

大体南方にある物ばかりであった。


朝、顔を洗うのは二人ずつで、居住区から後甲板まで行って洗顔するのに

百メートルの距離があり、若者は順番が最後なので

飯の支度をするのが間に合わなくなるから、

船に乗っている間は、顔を洗ったことも歯を磨いたことも無かった。



写真は、父と兄妹会でのパスタランチです。







  
タグ :軍艦矢矧


Posted by まこさく  at 17:57家族