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Posted by あしたさぬき.JP  at 

2023年05月07日

父の兵隊の記憶 3 鹿児島

昭和十八年七月二十五日に鹿児島の航空隊へ到着。

海を埋め立てた、桜島が見える場所で、

予科練が飛行機の練習をする、赤とんぼ (日本軍の練習機は、目立つように橙色に塗られていたことから

別名「赤とんぼ」と呼ばれていた) の飛行場を作っている最中であった。

そこで、赤とんぼが海の上へ飛び立つので、何かあったら救助に行くのである。

だが、自分がそこにいる間には、飛行場は完成しなかったので、救助の仕事は無かった。


鹿児島に着いてから、本隊で毎日泳ぎの練習をした。

桜島に向かって、平泳ぎでゆっくり一時間泳いで

また一時間かけて泳いで帰った。

早さを競うのではなく、長い時間泳げるようにするためであった。

誉水に居た頃は、泳いだことが無かったので、

後に船が沈んだ時に、この練習のおかげで助かったと思う。



そこには しゅうていこ (舟艇庫? 船を置いてある所) と、兵舎が二つ、飯炊き場があるだけで、

一番若かったので、舟艇庫に配属された。

朝昼晩と三回往復して、二キロの道のりを、飛行場の横の兵舎までご飯を届ける仕事をしていた。

ご飯やお汁はアルミの容器に入っており、蓋にはおかずが入っていた。

自転車の箱にご飯を積んで、分隊に寄って用事があるかを聞くのである。

兵舎の横で、物を販売しており、班長がそこで買った品物を

ご飯を入れる箱に入れて、班長の下宿まで届ける使いもしていたが、

買った品物を隊から外に持ち出すのは禁止 (隊の中で買うと、税金がいらないので安い) であったので、

途中で箱の中を検査されないかと、いつもビクビクしていた。

もし見つかっても班長の物だとは言えないからである。

自分達は、舟艇庫で寝泊まりして、日曜だけ外出が許され、

班長は、二日に一回下宿で寝泊まりしていたので、

下宿の人に、買った物を渡していたのではないかと思う。

外出した日曜日は、その下宿で昼飯を食べた。



※ 父の話す言葉の意味が分からず、よくよく聞き直して

  しゅうていこ=舟艇庫 ではないかと勝手に解釈した。


写真は父と兄妹会のランチ、トンカツ定食です。















  


Posted by まこさく  at 18:36家族