2023年05月12日
父の兵隊の記憶 6 砲塔
矢矧の中で、最初の持ち場は供給所であった。
下にある弾火薬庫から上の砲塔へ火薬や弾薬を押し上げる仕事である。
火薬は軽いので、手で押し上げるが、弾薬は直径十五センチ位だったが、
四十五キロ位あり、重かったので、機械で上げていた。
そこでは一つの班が十二人であった。
下っ端の兵隊が、弾火薬庫や供給所で働いていた。
藤原は、弾火薬庫にいた。
サイパン作戦が終わってから、(船が沈む五ヶ月前) 供給所から二番砲塔へ移った。
砲員は、十八人であった。
弾薬と火薬をつめて、蓋をして、上の方にいる砲術長が引き金を引いた。
レイテ作戦の時には六番砲手であった。
供給所から手で差し上げてくる火薬を取って、五番砲手に渡すのである。
後に、一番力のいる4番砲手になった。
それは弾をこめる仕事で、装填棒を腹に押し当てて弾を押し込むのである。
砲塔は、鋼鉄板で囲まれていたので、機銃掃射が来てもへっちゃらであった。
船が沈む前は、電気が来なくなっていたので、手で弾を込めて、勝手に打っていた。
米軍の飛行機が、絶え間なく来ていた。

下にある弾火薬庫から上の砲塔へ火薬や弾薬を押し上げる仕事である。
火薬は軽いので、手で押し上げるが、弾薬は直径十五センチ位だったが、
四十五キロ位あり、重かったので、機械で上げていた。
そこでは一つの班が十二人であった。
下っ端の兵隊が、弾火薬庫や供給所で働いていた。
藤原は、弾火薬庫にいた。
サイパン作戦が終わってから、(船が沈む五ヶ月前) 供給所から二番砲塔へ移った。
砲員は、十八人であった。
弾薬と火薬をつめて、蓋をして、上の方にいる砲術長が引き金を引いた。
レイテ作戦の時には六番砲手であった。
供給所から手で差し上げてくる火薬を取って、五番砲手に渡すのである。
後に、一番力のいる4番砲手になった。
それは弾をこめる仕事で、装填棒を腹に押し当てて弾を押し込むのである。
砲塔は、鋼鉄板で囲まれていたので、機銃掃射が来てもへっちゃらであった。
船が沈む前は、電気が来なくなっていたので、手で弾を込めて、勝手に打っていた。
米軍の飛行機が、絶え間なく来ていた。